松本豊『スメラギドレッサーズ』        - 豚か狼か

こちらの側に居たいという気持ち            松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
12 /30 2016


 望月三起也先生の『ワイルド7』は『法の網を巧みに切り抜けてのうのうと生きる悪党に対し、悪党をぶつけて処刑する』というマンガである。そんな悪党に警視正というかなりの階級を与えてしまうのだが、最初の『野生の七人』編ではその階級をことあるごとにひけらかして周囲を黙らせる彼等であったが、続く『バイク騎士事件』編でのクライマックスにおいて、主人公・飛葉は『ヘボを助けるのは友情だ!!その友情が犯罪になるのなら…結構だ!!俺は喜んで犯罪者になるぜ!!』と階級章を放り捨てる。



 俺はその時にガチン…と音を立てて『認識』したのだ。『正義』という言葉は信じなくていい。『正しい』と感じたコト…こちらの側に居たいという気持ちこそが大事なんだと。


 『ワイルド7』は当時としては異例の長期連載で最終48巻(ヒットコミックス)でのあとがきで『イロイロな価値観を押し付けられる子供たちに体を張って戦う姿を伝えたがった』と書いている(ちょっと違うけとニュアンスはこんな感じ)。『正義』という言葉そのものは自分は信じていない。だけど、『そうしたいという気持ちに忠実』というのには憧れる。自分は『それが見たい』のです。



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 さて、当ブログでもはや悪あがきな感もある『スメラギドレッサーズ』の記事ですが。


 このマンガの魅力は各々イロイロに感じ取っていると思います。ドレスの設定を活かしたバトルの面白さとか、伏線の面白さとか、単純にエロが好きとか。で、自分なんですが『このマンガには正しさを感じていて、自分はこちらの側に居たいから』という理由他ならない。例え、このマンガで描かれたコトが『社会のルールに照らし合わせて間違っている』と定義されても、そんなコトは『どうでもいいん』です。自分は『このマンガで描かれたコトを信じてます』というだけなんです。



 しかし、『人間ってそんなに大きな正義なんて必要なんかな?』とも思います。



 少なくとも俺はそんなの在り得ないな~とか思っちゃうんですよね。『スメラギドレッサーズ』の主人公・かなでは名目上は世界平和なんかもしんないけど、だいたいが身近な人が大切な動機です。時には世界にアダなす敵にすら『助けたい』という気持ちで動いてますよね。それどころか味方もそういう動機で。自分はそれでいいと思うし、そんな『スメラギドレッサーズ』は現在進行形で大好きな作品です!!


 どこかにリスタートさせてくれる出版社は無いかな~。この作品をこのままにしておくなんてとてもとてもツライです。イチ読者として。


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荒削りだが光ものがある        松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
05 /11 2016


 最近はめっきり減ったがスポーツや格闘マンガのスタートとして経験ゼロの主人公がいきなりそれを始めてしまい、結果は惨敗という展開がある。それを見ていたベテラン(怪我をして引退とか)が『荒削りだが光ものがある』と主人公を見出し、成長させていく……という展開。


 マンガ家にはそれがある。


 ただし、それはやっぱりレア中のレアだし、何より『育たないとダメ』という大前提がある。その大前提の前に多くのマンガ家さんは残念ながら消えてしまう。育つ前に。



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 自分にとって、松本豊先生はレア中のレアなのだ。


 初めて『スメラギドレッサーズ』の感想には『荒削り』だけど『伸びる』と書いた。ここら辺は他の方の考え方はどうかは知らんけど、『予想以上に伸びた』というのがある。ただ連載終了は『大前提を達成できなかった』というのは素直に受け止めなくてはならない。マンガブログ的に。


 あれは名作だったりのに周囲が理解しなかった……と言ったらマンガブログ的には『負け』なのだ(俺は何と戦っているのか?)。目指すのは『より多くの方がスメラギドレッサーズあるいは松本豊先生の作品を楽しんでくれる』というコトなのだ。俺がマンガブログやってて『なりたいもの』と言ったらひとつしかない。『ドラえもん』の『宇宙ターザンの回ののび太くん』なのだ。



 分析しなければならない。そう『帰ってきたウルトラマン』(またかよ)の暗殺宇宙人・ナックル星人のように。


 まず『まずいな』と思うのが、明らかに絵だな。松本先生の最大の弱点はコレに尽きる。女の子が主人公のバトルマンガなのに『キャッチャーじゃない』というコト。ただ、それは『よく言われているコト』であり、松本先生に関してはそれだけの分析じゃダメなんですよね。


 過去に『絵が巧い』と書いたコトもありますが、これはガチでそう思っている。特に『見せ場』をカチッと寄せてくる力量は下手なベテランよりはるかに巧い。そう松本先生の『絵が良くない』という言い方そのものが違うのだ。正確には『キャッチャーじゃない』というコト。


 ただ、面白いコトにマンガに於いて『絵が巧い』より『キャッチャーであるコト』のが習得がラクなのである。松本先生のマンガは一事が万事にそういう不思議のカタマリ。習得が難しそうなのものを持っていて、ラクそうなスキルがよろしく無い……というマンガ家さんのなのだ。


 そこから分析してみると…

 
・瞳がキャッチャーでは無い~マンガキャラの最大のキャッチャーパーツは目なのだが、なぜかシンプル。

・コスチュームがキャッチャーで無い~このマンガ最大の視覚的な売りであるドレスデザインはイマイチと言わざる得ない。多分、デザインするにあたって『素材は何か?』『どういう生地か?』『刀はどのぐらいの重さがあるのか?』『このパーツにはどういう意味があるのか?』を意識しないタイプなのではなかろうか?『それっぽく描く』というのもマンガの手であるが(それで大ヒット飛ばしているマンガ家さんも居る)、ここら辺も『伸ばしどころ』ではある。例えば、サクラのブーツであるが、足元の飾りの意味が全く見えない。すぐに汚れるであろうし、間違って踏みつけたら転ぶ。

・体型がキャッチャーで無い~これに関しては連載中にかなり苦心されていたように思います。おかげで等身が低くなったり高くなったりと忙しかった!!エロというコトでもないが、かなでのチチは巨乳であるコトに構わないんですが、カタチはあんまりよろしくなかったなあ……。あと、巨乳にするなら重力とか考慮しないと(大真面目に書いてます)。

 細かい部分で言うと、『指』はもっともっと上手くなれると感じてます。ここも勿体無いポイントなんですよね。


・擬音がキャッチャーで無い~このマンガの擬音に関しては『なぜだ?』という疑問しかわかない。どれも同じデザインなのである。『おっぱいがプルプル』しても『敵をズバァ…と叩き斬って』も『相手を思ってバチーンというビンタ』であっても一緒のデザインなのだ?いや、これは『マンガスタンダード』でいいんじゃないだろうか?

 擬音と言えば監督的立場で『キャラの顔のペン入れ』で有名なさいとうたかを先生は『擬音は自分で指定して描く』というのがあって、おそらくベテランが導き出した『無意識の重要ポイント』だと思うんですよね。


 長々とネガティブなコト書いちゃったんですが、やっぱり『スメラギドレッサーズ』を多くの方に読んで欲しいし、次回作こそは…という気持ちも強いので書いてみました。


 もちろん『スメラギドレッサーズ』はこれから先もずっと大切な作品には変わりません。そして、機会があったらまた記事にします!!



 

 

輝けるものたちへ          松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
03 /13 2016


 『正しいなんていう議論じゃない、俺はその意志を正しいと信じたい』


 …というコトになるのだろう。


 世の中には多数の価値観がある。その中にあって『自分はこれを信じたい』とさせる……。そういう作品をいつでも待っている。そして、それを強く感じさせてくれた作品が『スメラギドレッサーズ』である。



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 残念ながら最終回を迎えてしまった『スメラギドレッサーズ』で、これを書いている今も『なぜだ?』と思っている。だが、その『なぜだ?』に関しても様々なデータから判断されたコトで、俺はそれを決める立場にない。せいぜいがココに書く程度で、個人というのはその程度までしかできない。



 だけど、自分にとっては『信じたい正しさ』を描いてくれたとても大切な作品で、個人であっても心に在る作品なんです。この記事を読まれている方は多分『スメラギドレッサーズ』のファンであると思うし、これからもそれを大事にしていただけたら嬉しいな…と感じてます。


 度々書いてますが、この作品は『本当に自分の好みに特化してくれたようなスペシャルな仕様』であった。こんなに肌に合う作品は本当に稀有であった。そもそもにさかのぼると過去に自分が『信じたい』と思った作品たちは全体的に見ると『そりゃないよ』という価値観で描かれているコトが多かったような気もする。ザックリ言ってしまえば俺は『世界の平和より目の前をアナタを助けたいと思ったから行動した』という考え方のが信じられるのであり、一般的に『そりゃないよ』となる。


 この『スメラギドレッサーズ』でのかなでの行動原理は『大事なアナタを助けたい』という一心が常に貫かれていた。時として、世界の敵であり、相手も拒絶しているというのに『でも助けたいから』という自我に忠実に動く姿に大変共感した。


 そして、この作品は『人の悪意』を積極的に描いた。これも自分からは『信じる』と言える要素であった。それを『変える』とか……まして『話せば分かる』なんてことでなく『それに負けない意志』というのを俺はとても信じたかったのだ。


 さて、打ち切り最終回であるのであらゆる要素が未消化にまま『俺たちの戦いはこれからだ!!』という王道エンドになった訳ですが、ちょっと気になる要素がある。


 ・時間が一気に二ヶ月とんだ

 ・決戦時に『世界てらす子さんがいない』


 …というコトだ。


 二ヶ月とんだコトに関しては『その間にイロイロありました。すいませんが想像してください』というコトなんだけど、この『二ヶ月』と明記したのに引っかかりを感じる。そして、最終決戦に世界てらす子がいない……というコト。これは『危険な戦いだから安全なトコロに避難させた』とも考えられるのだけど、あの松本豊先生なので意図を感じる。


 この二ヶ月間に、世界てらす子さんはこの世のものではなくなった


 ……と考えられはしないだろうか?だとしたら、かなでは『自身が戦う最大の動機』を失ったことになる。そして、スメラギアの前に立ちふさがったというコトは『再び立ち上がった』というコトで、描かれたかなでの目にはこれまで以上に強い意志を感じる。


 世界てらす子さんは『世界を照らす光になりたい』みたいなコトを願っていた。その意志をかなでが引継ぎ、世界を照らす光になろう…という決意があったのだろう。そして、それをできるのは『こうあるべき』という定義でなく『信じたい意思』だと思うんですよね。作品中では正義の光…とちょっと茶化したように言ってましたが、かなでの行動原理からすると『大切な人の願いは、たとえ死んだ人でも裏切れない』というのが在るんじゃないかと。そして、それを決意させるのはかなで同様に『輝いた意志を持つ友達』の気持ちであったのだろう。それはとても小さな光なのですが、それを諦めずに前を向いた者たちが獲得できる光なんですよね。


 この『空白の二ヶ月』は全くもって自分の想像なのであるが、やはりその『二ヶ月』のプロセスは読みたかった。この想像と異なるものである可能性はとても高いのであるが、『スメラギドレッサーズ』という作品はいつも自分の期待以上のものを描いてくれたのだから。


 この作品は終了しましたが、これからの松本豊先生の作品もまた『その輝きを信じたい』とさせる確信が在る。









 ……ところで、この作品は俺にとってはスペシャルな作品なのでこれからも機会があれば書き続けます。当ブログを昔から読まれている方はご存知かも知れませんが、俺は最高に諦めの悪いヤツなのだ。次は三巻出たら記事にするかんね!!


大人の責任           松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
03 /09 2016


 『そんなことをして責任とれるのか?』という言葉は俺にとっては理解不能であり、大嫌いなのである。これを読んでいる方もそれを言われたコトは一度や二度ではあるまい。もし、言われなかったとしたら、もっと自我をぶつけないと捕食されてしまう。


 そもそもこの言葉は『だいたいが無関係なヤツが強要してくる』のがイラァ……とする。俺にとっての『責任』というのは『強要されるものでなく、自らが背負うもの』という認識なのです。


 『ウルトラマンタロウ』の最終回だ。主人公・光太郎はタロウに変身できないが為に恩人である、白鳥船長を救えなかった。再び怪獣と対峙しタロウに変身し倒すのであるが、息子の健一は光太郎の言う。『ボクは悔しいんだ!!やっぱりあの時タロウが来てくれたら父さんは死なずにすんだんだ!!』という事実を突きつける。『キミは弱虫だ。これから父さんもタロウも頼ることなく生きていけるのかい?』と。言葉に詰まる健一少年に対して、光太郎は『自分はウルトラマンタロウだ』と告白し続ける。


 『だけどキミにだけ、そんな思いはさせない。ボクも一人の人間として生きてみせる。ウルトラバッヂ(変身道具)になんかもう頼ったりしない』


 と誓いを立て、人間の力だけで事件を解決し旅立って行く。


 世界平和の維持に努めるのが正義だとしたら、これはとんでもない行動なのかもしれない。光太郎自身には非は無く、そして何より世界平和からしたらたった一人の少年の今後など『構ってられない』のが本当のところなのだから。が、俺は今でも『責任』という言葉を聞いて正しさを感じるのは光太郎の選択なのだ。俺にとって責任というのは『自らが背負うもの』なんです。でないと意味を感じないんですよ。



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 さて、明日のチャンピオンで最終回となってしまう『スメラギドレッサーズ』ですが。おそらく今までチャンピオン作品を書いてきた中で、最も思い入れのある作品でしょう。もっと、読みたいのですが本当に残念です。


 で、改めて『どこが良かったかな~?』というの考えてましたが、やはり『ドラマの納得度』だと思います。評判の悪い初期の頃から『まるで自分に合わせたかのようにピッタリ』という感じのドラマ展開で、ここまで合致しているのが嬉しかったですね。


 やっぱり絵に関しては厳しくせざるえないけど(ここ最近は特に荒れているし)、ドラマというのは描き手の修練でどうにかならない領域もあるんで。そもそも松本先生は『キッカケさえあれば絵も絶対巧くなる』と感じているし。



 さて、今回のドラマと言えば『おばあちゃん登場』でしょう。『世の中には信頼できる大人もいる』とまず言ったのは『自らが責任を背負う』という意味だ。これを『私は信頼できる大人』と捉えてはいけない。『信頼できるかどうかはゆりかご自身が判断しなさい』という意味だ。


 そして、ここからのドラマも『誠実な大人』として描かれている。『これからもあんた達は苦しみ続けることを覚悟しなさい』と。ここで『かわいそう!!でもこれだけ苦しんだんだからあなたたちには幸せが待っているし、幸せになる権利がある!!』なんてヤツは近寄らないほうがいい。おばあちゃんは『世の中には信頼できない大人のがずっとずっと多い』というのは、『つまりはこういうリアクションするアホが多い』というコトでもある。


 その厳しい言葉の中におばあちゃんの優しさを感じずにはいられない。


 人というのは非力なんです。世界の為に必要な人間というのは一切存在しません。その人が居なくても、世界というのは通常運転しているものなのです。


 だからこそ『私はアナタを信頼して見てますよ』というのが心強くて、そして人ができるのはせいぜいそこまでなんですよね。



 それにしても『世界征服』という脅威に対して、『スメラギドレッサーズ』という作品は『そんなコトより大切なアナタ』というのが全くブレずにここまで来てくれました。俺にとって大事なのは『それをどこまで信じているか?』であって、結果ではありません。この作品はいつもその過程がとても惹かれた。こんなに感情移入できる作品が出てくれたのは嬉しいし、今後もこの作品に対する思い入れは薄れなさそうです。


 あと、一回!!どういう着地を見せるか楽しみにしてます。



 でも、ゲス山はオイシイところをかっさらっていくと思うな。ボカァ。


戯れ        松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
03 /02 2016
 手塚治虫先生の『ブラックジャック』のエピソードに『人面瘡』というエピソードがあって、内容に関しては面白いのでぜひ読まれていただきたいのですが、まず『本当の自分』というのを全く信じてないんです。


 マンガのなんかだと冴えない主人公が、あることをキッカケに輝いて『これが…本当の自分!!』とかあるけど、そういうの信じてないんですよ。良い部分だけ欲しがってカッコ悪いトコロは要らないなんてのを俺は認めない。全部ひっくるめて自分だ。


 そして、人というのは不合理にできている。


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 これはもう打ち切りが不可避の状態になってしまった『スメラギドレッサーズ』ですが、そもそもにこの物語はどうして始まったか……と考えると、これはもう『スメラギアの戯れ』というコトになる。開始早々に『足でダーツを投げる』というゲーム感覚というか暇つぶしというか、まあ戯れ感がハンパ無い。


 で、かなでという面白いオモチャが見つかったんで、しばらく泳がせていたけど『そろそろ本腰入れるか…』という感じまでが今回だ。


 それにしてもスメラギアは『なぜこんなコトをしたのか?』という疑問は尽きないのですが、やはり『戯れ』とか『暇つぶし』というのが感じられるのである。


 表面的に。


 『価値観が共有できるものを探していた』という気もする。以前書いたけど、スメラギアは能力が高すぎるが故に世界が不満であった。例えたようにサル山入れられた生活などできる訳が無い。普通は耐えられない。彼女にとっての世界はコレなのだ。そもそも世界を作り変えるなんて言っても、人間より高次元の生命体を探して接するしかないだろう。この世界を壊したところで変わらない。


 ここら辺にスメラギアが開始早々に語った『世界を征服する方法』の鍵はあるような気がする。


 ただ、展開としてはやはり終了間際(勘違いであってほしい)だけに、とにかくイロイロなクエスチョンが端折られている。エレナの口ぶりからするとハンナはやっぱり姉妹だったのだろうか?『あの子』という言い方が引っかかる。そして、あのスナック菓子をむさぼり食っていたなんかムカつくデブはどうなったのだろう?


 そして、今週の何気に目玉は美咲チャン(?)が出てきたコトでしょう。やはりライメイ07は彼女が着るコトになるのか?


 明日のチャンピオンでは決戦に臨む、かなで・ツカサ・芽伊・りかの前にスメラギア・エレナ・ムラクモ・ネクロが立ちふさがり一触即発の空気になって、そこに駆けつけるドアップの覆面女で来週に続く。来週になったらいきなり戦闘が終了していて、なにやらハシラにはビッチリとあらすじがあったりしたら


 なんて厄い想像をしてしまう。頼むからマジで回避してくれ。俺はまだ『スメラギドレッサーズ』が食い足りないんだから。

ネームのキレ具合         松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
02 /24 2016


 今のアニメ作品はずいぶんと良くなったな……と感じるのが作画の安定である。


 古いアニメはなかなかに酷いが、『セーラームーン』の作画の不安定っぷりはすさまじいものがあった。そもそもにこの作品はスタート時はあまり期待されてなかったというのもあって、色数も少なかった。また、スタッフの仕事にムラがあったのか、毎回キャラが別人レベルで違っていた。


 が、作画の良い回はメチャクチャ良かった!!当時はまだセル画塗りのアニメであったが、スゴイ回はある意味現在レベルのアニメより作画がキレイであった。個人的には伊藤郁子さんと長谷川眞也さんの作画回が好き。


 やっぱり絵というのは重用なファクターだ。

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 フルコンタクト系実戦マンガ記事を提唱している当ブログなんで書きますが


 今回の『スメラギドレッサーズ』のネームはあんまりよろしくない


 ……と感じます。


 このマンガ、作画とかネームとかの安定感がイマイチ落ち着かないところがあって、良い回は良いのですが、今回はちょっといただけない。マンガ家マンガで主人公が持ち込みした時に編集部員が読むわけですが、『最初はザッザッと読む』というのがあって、むしろジックリと読んでしまう意味が分からない。


 このマンガに関しても一回目は『ザッザッ』と読む。


 それで感じたコトなんだけど『まるで時間が停止した世界のようだ』というコトでスピード感覚が狂わされる。過去に似たような体験があった。あれだ。『ジョジョ・第三部』のディオとの最終決戦の時のようだ。


 イロイロな要素が絡んでこうなったと思うのだけど、一番はネームだろう。特にスメラギアは仮面を被っているから表情が全く分からない(からこそ面白いキャラ)のだけど、これがやたらと単調な印象がある。


 また、今回は一瞬の心理戦をクライマックスに持ってきたのも大きいだろう。なので、前半パートはもっとスピードを感じさせるネーム切りにした方がいいのではなかろうか?


 ……とまあ、こんなコトを偉そうに書きましたが、コレって松本先生自身も解っているような気もする。なんか、そうならざるえない理由があったとしか。そして、そうならざるえない理由ったら一つしかないしなあ……。
 

 ただ、今回は厳しく書いてますが、相変わらずアツアツに楽しんでます(ここは誤解無いように)。特にエメラルドクィーンのドレススキル発動は熱い!!どうにも体当たり系みたいなんで、俺ウレションものです!!


 残りのドレスは三着ですが、今のトコロは槍系が無いので登場しないかな~。あと、エレナを追っているハンナですが、そういえばスナック菓子を食っていたなんかムカつくデブはどうなったのだろう?(前回いなかったし)


 単行本も三巻が予定に入ったし、このままイイ感じに続いてくれたらなあ。


待っていたんだ、そういう作品を             松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
02 /16 2016
 度々、ブログに挙げる作品に『ジャンボーグA』があるんですが、自分の知る限りでは著しく評価が低い。何が不満って、『ロボットもの』としての評価の低さだ。まあ、特撮なんでアニメと分離されるかもしれないが、この作品の『ロボット設定』は10年先を行っていたし、現在も追いついて無い部分すらある。1973年の作品なのに。


 この作品は全50話であるが、注目したいのは第27話~第31話の構成だ。ザックリと書くと…


第27話『ジャンボーグA-2号誕生!その名はジャンボーグ9』~今のロボットモノでは常識の主役機交代である(違うけど後述)。『ザブングル』が初という意見もあるが、だとしたら『ジャンボーグA』は10年先にやったコトになる。余談だが、ジャンボーグ9の操作方式もまたザブングルより先のハンドルであった。


第28話『復活!ジャンボーグA』~その手のアニメで定番なのが『新型が出たら、他のキャラへとお下がり』となって、イコール『弱い』という図式になるんですが、実はジャンボーグ9は飛べないという弱点から、旧マシンのAを駆使することになる。『ケースバイケースで併用』というアイディアは今も軽視されたままである。


第29話『にせジャンボーグAを送りこめ!』~新型のジャンボーグ9、まさかの二連敗!!新型だから強い……なんてコトは無いというのを印象づける。


第30話『ジャンボーグA・ジャンボーグ9を処刑せよ!』~ジャンボーグAがやられたので、ジャンボーグ9でリターンマッチという斬新な図式!!が、ジャンボーグ9はありえねぇだろの三連敗!!番組終了三分前に瞬く間の逆転劇!!復活した9からAに乗り移るなど戦闘モードをスピーディに切り替える!!


……この発想はスゴ過ぎる!!



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 …とまあ『こういう発想の作品は出ないのか?』と俺は待っていた。まあ、作品は数知れずあって『出会ってない』というのがおそらくの正解なんだけど、俺は待っていた。


 いいぞ、『スメラギドレッサーズ』!!!!
 

 俺の中ではようやく『ジャンボーグA』の後継者が登場した……と嬉しくなっている!!


 この作品、とにかく『どうやって、ドレスチェンジを駆使するか?』という部分が面白い。『ドレスチェンジして敵を倒す』というのは作品として当然であるが、その過程をとても大切にしているのがグゥ!!『ジャンボーグA』もジャンボーグが敵を倒すのだけど、そこに至るまでの『人間が頑張る』というのが面白いんですよね。


 とかく、ここ最近の異能バトルものは『なんか本気出して覚醒』というのばかりでしたが、この作品は根本からして違う。『人の意志』とか『非力な人間の努力』とか『強大な力に対しての工夫する』というものを前面に出している。



 この点だけでも『スメラギドレッサーズは俺の中で大傑作』というのが揺ぎ無い。


 作品というのは『セオリー』があって、それもまた重要なんです。が、それを『ちょっと視点を変えるだけで作品の展開はいくらでも増える』というコトを実践している。意外に『無いんです』よ、こういう作品って。


 が、同時にこの『スメラギドレッサーズ』のドラマは直球すぎる直球をてらいなく投げてきやがるから楽しいんだ。


 そういう作品を自分は待っていたんだ。そして、これからもそれは変わらない。


絶望しかない平行線        松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
02 /09 2016


 『人間は皆分かり合える!!話し合えば分かる!!』なんて寝言信じているヤツは素晴らしいと思うが、教養が足らないとしか思えない。


 こんなコト書くのもバカバカしいのだが、そんなコトは絶対にありえない。思うに人間の個体差というのは動物以上の開きがでやすい。思考が先行っているヤツは怠けてたヤツのはるか先に言ってしまう。それが対等のわけねーじゃん。それを対等としようとするのは不公平でしかない。


 例えばにあなたが猿山で暮らすことになって、猿と同じ扱い・認識をされるならばとても耐えられないだろう。でも『人間は分かり合える』って『つまりはこういうコトを強要している』コトであり、やはり教養が足らないとしか思えない。


 人には明確にランキングがある。平等ではない。こんなコト書くのもバカバカしいぐらいの当たり前の話なのだ。



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 多分、スメラギアにとっての世界というのは『猿山に放り込まれた自分』というような感覚なのだろう。


 多分、スメラギアにとっての人間というのは『言葉をしゃべる猿』という感覚なのだろう。


 ジョジョで『モンキーが人間に追いつけるか?』というセリフがあったが、スメラギアはそういうトコロに居るのだ。猿に命令されて腹を立てるヤツはいない(いたらどうかしている)。主導権は常にコッチにある。スメラギアは猿回しの立場だ。これが自然体で我々とは違うトコロに、はるか先に思考を置いているとしか思えない。


 が、これは『見込み違い』であろう。


 ジョジョでそれの返事は『人間はどこまでも成長する!!』であったから。


 ただ、この価値観の違いは絶望的で和解というのはありえないだろう。猿に諭される人間もいないし、猿を諭す人間もいないのだから。


 さて、スメラギア登場でイロイロな要素が明るみになりましたが……


①スメラギアは美咲説~まだほんのり可能性はあるけど、ほぼ無いと考えて良いでしょう。

②では美咲は?~ネットやニュースなどでかつての親友である、かなでのピンチにかけつける可能性がちょっと増えた。

③どのように登場する?~そこで、先に振っていた07ライメイを着るコトになる。一応、芽伊チャンがとりあえず着る可能性もある。

④そうすると?~最終的には05かなで03芽伊06ツカサ07美咲08りか&まりあの五人体制になりはれてスメラギドレッサーズとなる。


 ……なんで考えてます。期待しているのは美咲の合流タイミングですね。ぜってー熱い展開だ!!





 

黄昏時      松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
02 /02 2016

 
 『帰ってきたウルトラマン』(またかよ)の戦闘シーンのイメージは『黄昏時』である。どういう訳だか夕日をバックにして戦うシーンが多い。『落日の決闘』とか『ウルトラマン、夕陽に死す』とかサブタイトルにも使われたりする。


 ただ、この作品にはやはり『黄昏時』は似合う。黄昏時の似合うヒーローものというのもなかなか無いんだけど。



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 『スメラギドレッサーズ』のイメージもまた『黄昏時』なんだよな~。 


 『美少女バトルもの』というのは『セーラームーン』あたりからの流れで今に至っていると思うのですが、ここまで夕日をバックに戦っている同ジャンル作品を知らない。ただ、この作品のイメージは『黄昏時』というのは間違いないだろう。何しろ戦闘シーンの八割はそれなんだから。


 翻って『帰ってきたウルトラマン』が放映されていた時代背景というのは、高度経済成長の『歪み』みたいなものが出たり、未来に悲観的な考え方が出てきた頃でもある。『物資的な豊かさ』と引き換えに「何か失ったような気がする」という感じの。


 そこから80年代に突入し、バブルを経由として狂乱の時代になり、終焉を迎え、今に至る。


 今の時代を時間に合わせたら……?

 
 『夜明け』でも『日中』でも無い。だけど、『真っ暗』という訳でも無い。『黄昏時』というのがシックリくる。


 『スメラギドレッサーズ』という作品は『美少女バトルものをリアル寄りのドラマにしたら?』というのがあるんですが、この『黄昏時』というのは意味があるように思える。



 しかし、作品も黄昏時のような勢いなんで心臓に悪いな……。頼むから朝日が昇ってくれ、と言いたくなる。あと、『ハンナとエレナは姉妹』説がここに来て信憑性が出てきたような。


高い画力         松本豊『スメラギドレッサーズ』

松本豊『スメラギドレッサーズ』       
01 /26 2016

 マンガの絵について考える。


 そもそもに教科書に載るような絵とマンガの絵というのは目的そのものが違う。カレーとラーメンどちらが優れているか?ぐらいに不毛なコトだ。


 マンガの絵というのは『楽しんでくれればいい』というのに特化している。そして、それは芸術のように限られた人種に届けるものでなく、普通に生活している人々に届けるものだ。だから俺はマンガが好きだ。肯定の否定も好きにしていい……その自由さが好き。


 で、『上手い絵』というのがあったりして、それを分析すると『受ける要素を拾うのに長けている』という場合がある。そういうマンガ絵はそれなりの人気は出るけど、さらにそれ以上の領域となると壁にぶち当たる。これまで順調だったからこそ、失速した時の再浮上が難しい。


 で、一見『あんまりうまくない』というマンガ絵が『実は巧い』というのも多々ある。先述の『楽しんでくれればいい』という要素を見事にクリアしてるの。以前にも書いたけど、福本伸行先生と『進撃の巨人』は巧いと思ってます。



 そして


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 松本豊先生のマンガ画力はメチャ高い!! 


 ええっと、ヒイキしている作品だから『甘めにそう評価している』という訳じゃないし、むしろそうならないように今まで『これはどうかな?』と思える部分は記事にしてきた。これをほぐした言い方にすると『もともとあったポテンシャルが連載を通じて開花してきた』というケースです。

 まず、上記の画像に関しては『サクラスキルを使う時のポーズ』として完全に読者に印象づけた。また、サクラの100%は花びらが舞っているので作画カロリーが高い(いつもできない)というコト。今回はやたらに作画に手間がかかっているのですが、『良い意味で手の抜き方を知っている』というコト。マラソンをいきなり全力疾走するのはアホでしかない。『ここまでしかできない』という枠を理解して『では一番効果的なのは?』というマネジメントが達者なんです。週刊というマンガでは重要だ。


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 難しい構図も積極的に取り入れ、そもそもバランスそのものは狂ってない。


 思うに、松本先生は『受ける要素を拾うのに長ける』というのが苦手なのではなかろうか?それは『言えば分かる』という習得にはイージーな部分なんで、ここら辺は編集部の頑張りが重要になるんじやないでしょうか?


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 実際、かつて作業用ゴム手袋・ゴム長靴っぺえパーツが連載を通じてディテールアップしているし!!そもそも松本先生は『キッカケさえ与えておけば問題ない』という器用なタイプに感じてきた。


 むしろ


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 凝った絵作りに対しては『貪欲で常に乾いている』という気がする。このアクションの繋ぎのコマも『重力と動きを感じさせる上着』の描写力はかなり凝っている。05の数字がイイ感じに歪んでいるのもグゥ!!


 そもそもかなでの髪型が長いサイドテールなのも『動き』を強調するのが狙いだったっぺえし(ブレイクした時も分かりやすい)。


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 クライマックスシーンの足もいいですね~。骨格・肉付きもキチンと感じさせるし、ドレスの素材感もキチッと出ている。これならコスプレイヤーも安心だね!!是非ともドレスルームも用意して生着替えしよう!!



でした。 ……とまあ、今回は絵について書いたんだけど、内容の盛り上がりは素晴らしいものがあって、いちいち書くのも野暮って感じがありました。『スメラギドレッサーズ』が深夜アニメになったらここまでがワンクールだよなというぐらいに見事に決まった……パズルのピースが『パチン!!』と音を立ててはまったような心地良さでした。


 もう一度。『松本先生はマンガ画力そのものは高い。それが連載を通じて開花してきた。これからも目が離せない存在だ』というコト。とても刺激的な作品だ。