疑え       村田真哉・檜山大輔『魔女に与える鉄槌』 - 豚か狼か

疑え       村田真哉・檜山大輔『魔女に与える鉄槌』

ガンガンJOKER
10 /05 2015

 これを言ってしまうと反発する方も多いと思いますが


 『あらゆることは疑え』


 …というコト。もちろん『信じる』というのも大事なんですが、等しく『疑う』というのも大事です。


 『疑う』というのは『前進を促す』というコト。すなわち『成長させる』というコト。


 が、この『疑う』という感情は往々にしてネガティブに捉えられる。そして『信じる』というのは盲目的にポジティブに捉えられる。


 『信じる』も『疑う』も本質的には等しく大事だ。その行動の中に『強さはあるか?』というコト。これこれが注目するポイントに感じます。



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 さて、最終巻を迎えました『魔女に与える鉄槌』です。ちょっと前の『アラクニド』記事でも書きましたが、ここ最近の村田真哉先生の思考しているものが色濃く反映されたと感じます。


 魔女狩りをテーマにしたこの作品の意図するところは?


 そもそもに於いて、日本人には魔女狩りというのは『聞いたコトあるけど、酷いコトするよね』という認識で、現実の出来事であるのにどこか現実味が薄い。それは日本に於いては仕方ないコトなのかも知れませんが、イメージするというのは重要なコトだ。


 自分はフィクションのメリットは『現実との地続き』だと考える。作中の出来事…この場合は『魔女狩り』ですが、その中でドミノが貫き通した意志・抱いた疑問は現実に置き換えて大いなるヒントになるだろう。


 また、作中では一人の男がストレス発散気味にしたためた書物『魔女に与える鉄槌』をキッカケに支配の為の道具として使われている。さて、これは史実に沿ったものなのか?自分にしてみれば『どちらでもいい』というコト。そして『大事な疑問』は


 『今生きている自分の時代でも無関係じゃないよな?』


 …であろう。自分としては出来れば平穏無事な人生をおくりたいし、ストレスも感じたくないし、すすんで他人を攻撃したくないし、攻撃されたくもない。


 が、それは生きている限り逃れられない。絶対に。


 その自覚が無い人も世の中には居ます。信じることは素晴らしいコトですが、世の中にはそこにつけ込む悪意は存在する。また、人間には『自分にとって都合が良いから信じたい』とする弱さもあり、流されてしまうのもあります。『信じるというコトにあぐらをかくのは停滞あるいは後退を意味するのではないでしょうか?


 その判断の為に必要なものがフィクションでは無いでしょうか?フィクションの中には素晴らしいものもあればトンチキなのだってある。それを絶えず疑問を持ち、信じると疑うの狭間を行き来するコト。


 絶対視して考えるのを止めるコトこそが問題で、それは生き続ける限り止めてはいけないコトなのだ。


 『魔女狩り』というのは我々日本人にとっては現実感の無い話でありますが、この『魔女に与える鉄槌』を読んでリアルを感じ、疑う機会になれば幸いです。

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宇都宮 勇

魔中年の書く、かなり結構ダメダメなブログです。週刊少年チャンピオンの感想記事をメインにやってます。

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