思い知らされる          角光『ニコべん!』 - 豚か狼か

思い知らされる          角光『ニコべん!』

角光『パンダのこ』『ニコべん!』
10 /30 2015


 人間って、自分に対する評価って高いんですよね。そして、自分が正しいと思っている。


 いやいや、そんなコト無い……なんて言ってもどこか過大評価していると思うのです。どんな聖人君子であっても。それは浅ましいコトでもなくて。どっちかと言えば本能に根ざした部分で、そういうのは仕方ないし、そういうのが無かったら人間は生きるのに耐えられないとも思うのです。


 それを自分で監視する為に他人は居るんじやないか……って思うんです。


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 今回の『ニコべん!』はイヤイヤかつ苦しみながら不良たちの弁当を作っているうちに『なんだか楽しくなってきた』というのりくんの心理変化が描かれてます。


 …というコトで、この不良たちには『罰は与えられそうも無い』というコトなんですがどうでしょう?これに対してフラストレーションを溜める方もいるでしょう。『彼等に罰が与えられる』というのが一番分かりやすいカタルシスだからね。


 そして、恥ずかしながら俺もそれを望んでいた。だけど、今週の『ニコべん!』を読んでそれを恥じた。


 例えば、アナタが殺したいぐらい大嫌いなヤツがいるとする。だけど、そういうヤツでも『優しくしている相手』って居るんですよね。それを考えると仲良くは無理としても、少しは擦り寄れる余地ぐらいはあるんじゃなかろうか?なんつーか、それがたとえ理想論であっても状況はよくしたいなと。望月三起也先生の『四つ葉のマック』でも『理想の無い人生は死人と一緒』と言っていたように。


 そして、相手の笑顔を考えてノリくんが作るのだから不良たちは『自分は恥ずかしいことをしている』という自覚の芽生えこそが必要なんですよね。これ以上カッコ悪くなってどうするのって…感じで。


 かつて、『イジメかっこわるい』という標語がギャグにしかならなかったというコトがありましたが、今週の『ニコべん!』を読んで自分はイロイロと思い知らされた。なんつーか、慢心してたんじゃないかって。これは静かながらですが、『イジメという社会問題』に対してのアンサーだ。この手の問題はイジメられる側に対してアンサーを求められるけど、本当はイジメる側がアンサーを出さなきゃならない問題なのだから。


 もし、これを読んでいる方が『自分はイジメをする側とは無関係』と考えているならば、『いずれそうならない為に』と今週の『ニコべん!』を読んでみるといいんじゃないでしょうか?自分を監視するために他人の存在は外せないのだから。




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宇都宮 勇

魔中年の書く、かなり結構ダメダメなブログです。週刊少年チャンピオンの感想記事をメインにやってます。

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